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イングランド革命

1640年、イギリスで、絶対王政の打倒のために立ち上がり、イングランド革命を主導した英雄クロムウェル。彼の反逆が、現代の議会制民主主義の礎となったと、学校の歴史では習います。 彼が信仰心の強いピューリタン(清教徒)を率いて、聖戦を戦い抜き、横暴を奮っていた国王チャールズ1世を公開処刑にした、というのが表向きの歴史です。 しかし当時の資料を詳しく見てみると、ロンドンにはピューリタンを支柱としたニューモデル軍だけではなく、得体の知れない民兵がいたことが明らかになります。
彼らは労働者として、ロンドンのシティにいつの間にか潜り込んでいました。そして、クロムウェルがチャールズ1世打倒の狼煙をあげると同時に、突如シティから飛び出し、暴動を繰り広げました。彼らはみな、短剣や棍棒を所持し、手慣れた様子で街を荒らし、鎮圧にきた国王軍と交戦する、屈強のならず者でした。
一般にクロムウェルの軍隊といえば、ニューモデル軍のみと思い込んでしまいますが、それは間違いで、別働隊が存在していたのです。ディズレーリはその数を1万人と記しています。そのころの1万人といえば相当なものです。しかも、国王軍との戦闘が続くにつれ、その数はどんどん増えていきました。ディズレーリは最終的に3万人に上ったと書いてあります。彼らの正体は何だったかといえば、ドーバー海峡を渡って入国した傭兵でした。イングランド革命を戦ったのは、暴言や飲酒を禁じられた信仰心の深いピューリタンだけではなかったわけです。それにしても、3万人もの傭兵を何年にもわたって使うためには、莫大な金を必要とします。クロムウェルは地主階級の出身者にすぎませんが、どういうわけかそれだけの資金を手当てしているのです。いったいその金はどこからきたのか。答えは簡単です。ヨーロッパの大銀行家たちが資金提供したのです。
イングランド革命の結果、銀行家はついに、中央銀行であるイングランド銀行を設立し、通貨発行権を手にします。イングランド銀行は私企業で、資本の大部分を大銀行家が押さえています。 通貨発行権さえあれば、好きなだけ紙幣を刷って、ばらまくことができます。仮に戦争が起きた場合、国は国債を発行して、戦争資金を中央銀行であるイングランド銀行から借りることになります。銀行がすることは、好きなだけ紙幣を刷って、国にお金を貸すだけです。戦争に勝とうが負けようが、国は利子つきで、中央銀行に借金を返済します。つまり、戦争が起きて、その規模が大きくなればなるほど、長引けば長引くほど、大銀行家の懐 にお金が入ってくる仕組みになっているのです。
ピューリタン革命から名誉革命につづく一連のイングランド内戦は、国王対ヨーロッパ大銀行家の戦いだったということができます。
歴史をつまびらかに見ていくと、大銀行家が国内に内乱を引き起こして革命や戦争を仕掛けていたことがわかります。しかし、一般の史実ではこのようなことが明るみに出ることはありません。イギリス市民革命は、ピューリタンが清い信仰心によって横暴を奮っていた専制君主を打倒したものだと教わります。

フランス革命

次にフランス革命を見てみましょう。 1789年、フランスでは、ルソーの「社会契約論」に端を発する民衆の権利意識の高まりによって、絶対王政を打倒。その後1803年にフランスの中央銀行であるフランス銀行が設立されます。
フランス革命はイングランド革命との共通点が多く、クロムウェルによる国王との戦いの二番煎じということができます。たとえば、1789年のバスティーユ監獄襲撃事件の直前から、パリにはイングランド内戦初期のシティを彷彿とさせる、得体のしれない労働者たちの暴動が目立っていました。彼らは短剣や棍棒を携行し、やはり喧嘩慣れした身のこなしの男たちでした。また、王政打倒に向かったのは、統制の弱い市民軍のほかに、義勇兵の参加がありました。義勇兵は主にフランス社会の下層階級者で、彼らの指揮官もまた同じ階級の出身者でした。それがいくつもの隊列を組み、貴族が指揮を執るフランス軍と戦い、それを打ち負かしました。これは、クロムウェルのニューモデル軍とそっくりです。
フランス革命においても、資金提供者はヨーロッパの大銀行家です。ここでも彼らは中央銀行を設立して通貨発行権を手にし、労せずして国家規模の莫大な利益を得るシステムを手中にしました。
体制転覆の背景には、必ずともいえるほど大きな闇が隠されているものです。

日本の明治維新

そして日本の場合はどうだったかというと、日本に明治維新を導いた長州戦争ならびに戊辰戦争がやはりこの流れと似ています。
薩州や長州で倒幕運動が活発化し、戊辰戦争に至るまでの膨大な戦費は、イギリスの銀行家が提供していたとみられます。
類似点のもうひとつは、戊辰戦争にいたるまでの倒幕運動に数多くの下級士族が参加していたことです。司馬遼太郎によって、昭和の時代に突然ヒーローと見出された坂本竜馬も、ご存知のようにその一人です。
彼らは脱藩という天下の重罪を犯してまで京に出て潜伏し、隙あらば敵対する浪士を殺傷し合うなど暴動をくり返しました。これは、イングランド内戦やフランス革命のさいに、どこからともなく現われた得体のしれない民兵たちの存在を想起させます。日本の小説やテレビドラマは、彼らをさも国家の未来を憂える若獅子の群れであるかのように描いてきましたが、実態は必ずしもそうではないように見えます。むしろ「世相の混乱を演出するために京の町に送られた傭兵」というほうがぴたりときます。彼らとて人間ですから、雨露をしのぐ宿がいるし、日々の食事代や酒代も必要だったでしょう。これら文無しの脱藩浪士たちに、いったい誰が資金を提供していたのか。その出所をたどっていけば、倒幕をもくろむ諸侯の背景にいた、ヨーロッパの銀行家に行きつくに違いありません。
そして、気持ちが悪いほど似ているのは、長州が組織したとされる萩藩の高杉晋作で有名な奇兵隊の存在です。奇兵隊もまた、身分差別を根本的に否定した軍事組織です。その指揮官も兵隊も、下級士族にさえ属さない平民出身者でした。
当時の平民は自足しており、所得税も相続税もありませんでした。つまり、ふだん生活する上でお上に逆らって権利を主張しなければならないようなことは、これといって何もなかったのです。
このような平民が、いくら藩主の命令があったからといって、「幕府を倒さなければならない」と大それた行動に向かうものでしょうか。
ところが、薩摩と長州の平民だけが、江戸期の平民らしからぬ態度をとります。民権意識を持っていたわけでもないのに、なぜか幕府軍との交戦の最前列に立つことを買って出るわけです。
萩藩の記録によると、士族以外の身分出身者が大半であった奇兵隊には被差別民を中心に集めた部隊も存在していました。彼らは果敢に立ち向かい、華々しい戦果を上げたとされています。これは、「被差別階級の解放のための倒幕」という教育が行われたことを、十分に想像させる事実です。
長崎のプロテスタント宣教師フルベッキの下では、200人以上の薩摩藩士に交じって、坂本竜馬の海援隊士や陸援隊の中岡慎太郎が学んでいたことも記録に残っています。身分制度の否定を宣教師から学んだことも間違いないはずです。
商圏拡大を目論む商人と平等を説く宣教師、どこからともなく現れ、市中を騒がせたり、敵側を挑発する数千人から数万人規模の傭兵部隊、そして背後に銀行家という図表を読みとれば、これはイングランドで、またフランスで演じられたシナリオどおりです。そして、その後の展開も、イングランドやフランスと同じ道をたどりました。
戊辰戦争が決着すると、日本は明治維新を迎え、その13年後の1882年に日本銀行が設立されています。その日本銀行は半官半民の出資で設立され、当然民間部分はその設立当初から国際金融資本の影響下にあったと考えられます。ヨーロッパの銀行家は、戊辰戦争を導くことによって、日本の通貨発行権をきれいに手に入れているのです。
このようにしてみると、戦争を起こす作戦として、その国の人々を殺すことに何の抵抗もない人々を送り込み、攪乱させ、大義名分をもって戦争を起こしている構図が見て取れます。イギリス、フランスでは外国の傭兵、日本では被差別階級の部隊。そしてこの作戦は今でも形を変えて続いています。内乱を起こして疲弊させた上で、大義名分をもって戦争を仕掛けているのです。
17世紀から19世紀にかけての戦争は、もはや領土の帰属ではなく、通貨発行権の帰属をめぐる戦いに変化していたことが理解できると思います。
そして、通貨発行権をめぐる国家対ヨーロッパの大銀行家の戦争は1913年、アメリカのFRB(連邦準備銀行)の設立によって、一応の終息を迎えます。なぜ私が、それをもって終息というのか。理由は簡単です。 それまでは、「通貨発行権の獲得」のために戦争が行われました。しかし、FRBの設立以降は、「通貨発行権の行使」のために戦争が行われるようになりました。21世紀の現在においても、その戦争目的は変わりません。私達が生を受け、いまに至る間にも、中東、中央アジア、アフリカ、あるいはバルカン半島などで数々の戦争が行われてきました。これはすべて、国際金融資本が仕掛けた「通貨発行権の行使」のための戦争ということができます。
戦争を起こして最も歓ぶのは、兵器を作る軍需産業と莫大な戦費を貸し出して利益を得る銀行なのです。戦争が起きて、その規模が大きくなればなるほど、長引けば長引くほど、彼らの懐にお金が入ってくる仕組みになっているのです。
出典:苫米地英人「日本人だけが知らない戦争論」